こんにちは!
中西紀説(なかにしのりつぐ)と申します。どうぞ「のんちゃん」と呼んで下さい!
私は山梨県南アルプス市で不登校児の居場所として体験型フリースクール「みんなのおうち」を運営しています。
私自身、中学生の時に不登校を経験しました。その時に負った劣等感・無能感・自己否定感がトラウマとなって40歳まで苦しみ続けました。一時は引きこもりとなり、自殺未遂を図ったこともあります。父親となってからは我が子も不登校となりました。フリースクールを始めてからは沢山の子ども達と関わってきました。
そんな人生を通して得た大切な気付きや想いを綴ります。
1998年は私のこれまでの生涯で最も辛い年でした。当時24歳だった私は、約1年間引きこもっていたのです。きっかけは恩人とも言える人を裏切ってしまったことでした。。。
その頃の私は、大学4年生。中学生時の不登校経験の際に負った劣等感・無能感・自己否定感がトラウマになっていて、自分が嫌いで、自分を恥じ、自分に自信が持てずに苦しんでいました。人生に夢も希望も見出せず、無気力に生きていたのです。卒業式(と言っても出席すらしていませんが)の翌日に行われた追試を受けて、やっとの思いで大学を卒業出来ましたが、就職活動もしていませんでしたので進路は未定のままでした。そんな私に手を差し伸べてくれた人がいました。当時アルバイトをしていたホテルの配膳サービス事務所の所長だったHさんです。Hさんは私に「お前、卒業後の進路は決まっとるんか?もし良かったらウチの事務所に来いよ。将来的にはこの事務所はお前に任せたいと思っとるから。」と言ってくれたのです!そのように言って頂いて私は本当に嬉しかった。こんな自分でも評価してくれる人がいる。これまで色々なことがあったけど、もう全て忘れよう。この人の恩に報いるために生きていこう!そう誓ったのです。そうして心機一転、その事務所の社員として働き出したのでした。
ところが、、、、
当時の私にはHさんの期待に応えるだけのキャパがありませんでした。自己否定が根本にあるため、期待がプレッシャーになってしまったのです。自分に自信が無いから、期待が重荷でしかありませんでした。結局、私はそのプレッシャーに耐えられず2週間で退職します。しかも最後は無断欠勤という最悪の形で。
「こんな自分に手を差し伸べてくれた恩人に仇で返すような真似をしてしまった。。」心底自分に失望した私は、それから引きこもりになります。生きているのが申し訳なくて、他人の視線が怖くてたまらないから外に出られないのです。「自分は一体何のために生まれてきたのだろう」「今、自分がいなくなっても誰も気付かないだろうな」「自分の生きる意味って何なのだろうか」ひたすらそれだけを考え続ける日々。そして出た結論。それは「死ぬしかない」でした。ある日、私は大量の薬を服用。服薬自殺を試みたのです。しかし、永遠の眠りにつくことは出来ずこれは未遂に終わりました。「死ぬことすらできないのか。。。」さらに失望の日々を過ごしていたそんなある日のこと。玄関のドアをノックする音がします。当時の私は全ての人間関係を断絶してしましたから、誰か訪ねてくる人などいるはずもありません。恐る恐るドアスコープを覗いてみると、そこに立っていたのは私の妹でした。長く連絡が取れない兄を心配して訪ねてきたのでしょう。しかし、その頃の私はまさに屍状態。とても妹に会わす顔などありません。居留守を使ってその場をやり過ごそうとしました。ところが、いつまで経っても妹は帰らないのです。何時間もそこで待ってくれていました。ようやく夜になって妹の姿は見えなくなりましたが、この出来事が私にとって大きな転機となったのです。「こんな自分のことを心配してくれる人がいる。もう一度だけ生きてみよう。」そう決意した私は実家に戻り、まずはお日様に当たることから始めようと早朝の犬の散歩を開始したのでした。
あれから26年の歳月が過ぎ、現在に至ります。あの後、社会復帰をして今日まで色々なことがありました。改めて振り返ってみても、何故今の自分があるのかを端的に表現することは出来ません。引きこもりで死にかけた私が社会復帰するまでのノウハウみたいなものは自分でもよく分かりません。ただ一つだけ言えることは、絶望が力になっていることです。私の潜在的意識の中には、今でもあの時の自分がいます。暗い部屋で一人、自分の存在意義を求め続けていたあの時の自分がいて、それが私の原動力となっているのです。あの経験がなければ間違いなく今の私はいません。その意味で全て必要な出来事だったのです。人生の絶望が枯渇感となり、それはやがて生きる力となる。私はそう信じています。
本日も最後までお読み頂き有難うございました。
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私でよろしければ真摯に対応させて頂きます。
体験型フリースクール「みんなのおうち」
代表 中西紀説