成長するとは
どういうことでしょうか?
それは
年齢を重ねることではなく、
身体が大きくなることでもなく、
人間的に成熟していくことを
言うのでしょう。
つまり、
年齢を重ねることと
成長することとは
全く意味が異なるのです。
私達は、
年々年を取っていくものですが
それと共に
成長していくとは限りません。
年齢の割に未成熟な人もいれば、
若くして成熟した人もいます。
年齢と成熟度は比例していないのです。
年齢と共に成熟度を増し、
年々人間的な成長を遂げ、
年を取るごとに人生が良くなっていく。
そんな人生こそ
幸福と言えるのではないでしょうか。
人間としての成熟度合いは
その人の思考に顕著に表れるものです。
日々何を考え、
日々何を想い、
何に価値を置いているのか。
10年前の自分と比べて
思考がいかに変化しているのか。
私は想います。
人は成熟するごとに
私から離れていく。
自分よりも大切にしたい
ものが見えてくる。
自分以外の誰かや何かに貢献する
喜びを知る。
私達は成熟するごとに
自我を手放し
無私へとなっていくのでしょう。
無私とは、
私を失うことなく
私を忘れ、
私を離れ、
公に重きを置くことです。
人生の壁にぶつかった時や
思い通りにいかない時、
試練に遭遇した時などは
成熟度を増す
絶好の機会と言えるでしょう。
そんな時、
「私」や「自分」の想いから離れて
その課題を受け入れてみる。
自分が執着しているものを手放せた時、
私達は人間としてまた一つ
成熟していくのでしょう。
そうして私達は
成長していくのだと想います。
受け入れ難きを受け入れる毎に
人は成熟していく。
自我を手放す度に
人は成長していく。
人間としての成長に限界はありません。
私達の成熟度は無限大なのです。
年を重ねるごとに、
問題を抱えるごとに、
固執していた想いを手放していき
人間的に成熟していきたいものです。
私から離れて、
人として成熟度を増すことが
成長するということ。
年齢と共に無私の境地に至り、
年齢と共に成熟度を増し、
年齢と共に成長を続ける。
そんな人生でありたいですね!
今日も豊かな心で、豊かな一日を。
中西紀二