こんにちは!
中西紀説(なかにしのりつぐ)と申します。どうぞ「のんちゃん」と呼んで下さい!
私は山梨県南アルプス市で不登校児の居場所として体験型フリースクール「みんなのおうち」を運営しています。
私自身、中学生の時に不登校を経験しました。父親となってからは我が子も不登校となりました。フリースクールを始めてからは沢山の子ども達と関わってきました。
そんな私の実体験からくる想いを綴っています。
私は父に感謝しています。父のことを心から愛していますし、父の息子であることを誇りに思っています。
しかし、若い頃はそんな風には思えませんでした。私の父は、とても優しい人だったのですが、自分勝手で言葉足らずで不器用な人でした。自分の気持ちを言葉で伝えることをしなかった人ですので、感情のすれ違いが多く、若い頃はよくぶつかったものです。私は父に嫌われていると思っていました。そんな父に認めてほしくて、優しい言葉をかけてほしくて無理ばかりを続けた結果、不登校になり、劣等感や無能感、自己否定感といったトラウマを抱えて生きることになってしまいました。
ところが、私が35歳の時に父が興した会社に入ることになり、そこでもう一度親子関係をやり直すことが出来たのです。父の仕事を継いでみてその大変さを実感しましたし、一緒に仕事をする中で気付いたことが沢山ありました。私も父親となり、当時の父の年齢に近づくに連れて、少しずつ父の私に対する愛情が分かるようになってきたのです。年々弱っていく父の姿を間近で見ながら、父に対する感情は変わっていきました。そして昨年11月、父はこの世を去ったのです。最期まで私に優しい言葉をかけることはないまま。
冒頭に書きましたように、今となっては父に感謝しかありません。父の息子で生まれて来れて本当に良かったと思っています。しかし、今でもあの時のトラウマが疼く時があるのです。身悶えするほどにどうしようもなく苦しくなる時があるのです。そんな時、父が「あの時は悪かった。もうそんなに苦しまなくていいんだよ。」と言ってくれたらどれだけ救われることか。しかし、その願いが叶うことはもうありません。私はこのトラウマを抱きしめて生きていくつもりです。
そんな経験から、ある時私は誓いました。
父にして欲しかったことを子ども達にはしてあげよう。子ども達の心にしっかり向き合おう。
先日のこと。学校から帰宅した次男が珍しく不機嫌な様子でイライラしていました。この春から高校生となり、新しい環境で楽しく過ごせているとは言っても、彼は小学校2年の頃から不登校となり、実に7年も苦しんできたのです。私と同様、いやそれ以上のトラウマを抱えていることでしょう。この日は私に対してこれまでの不満をぶちまけてきました。数年前、彼が大変だった頃に私が良かれと思ってしたことが彼を傷つけてしまっていたのです。
子どもが親に不満をぶつける時、時に暴言を吐いたり、思ってもいないような事を言ったりするものです。それは自分ではどうしようもなくなって親にSOSを出している状態。表面上は怒りという形で表現されていますが、その内面では親の愛を求めている。親に助けを求めているのです。
そんな時、
私が心掛けているのは「傾聴」と「謝罪」です。
まず、相手の話をよく聴くこと。たとえ暴言ややけくそな発言があったとしても正論で返すことなく、とにかく話を聴くようにしています。この時、子どもの話を遮り、正論で返してしまうと相手は「否定された」と感じてしまいます。だからとにかく聴き役に徹しています。そして、思いがけず相手を傷つけてしまっていた場合には素直に謝ります。「君のために良かれと思ってしたことだったけど、それで君を傷つけてしまったのであれば謝るよ。本当にゴメンね。」過去のことは心から謝罪した上で、これからを大事にしていこうと伝えます。これから君が幸せな人生を過ごせるように全力で応援するから、何かあったらまたいつでもどんなことでも話してほしい、と。
この日、1時間以上「傾聴」と「謝罪」の姿勢で向き合った結果、彼は落ち着いて部屋に戻っていきました。もちろんこれで全てが解決したとは思っていません。7年間に亘って刻まれたトラウマはそんな簡単に消えるものではないから。もしもまた、子ども達の調子が悪くなった場合には、最優先事項としていつでも彼らの心と向き合うつもりです。そして、少しずつ彼らのトラウマが癒やされていくことを切に願っています。
子どもの心と向き合う時に大事なのは
「傾聴」と「謝罪」。
これは父が私に遺してくれた何よりの形見です。
初盆で帰ってきている父に、改めて感謝を伝えようと思います。
本日も最後までお読み頂き有難うございました。
もし、お子さんの不登校などでお悩みでしたら「お問い合わせ」の欄からご連絡下さい。
私でよろしければ真摯に対応させて頂きます。
体験型フリースクール「みんなのおうち」
代表 中西紀説