山梨県南アルプス市にて、体験型フリースクール「みんなのおうち」を運営しています!

人は変わることが出来るのか?

こんにちは!

中西紀説(なかにしのりつぐ)と申します。どうぞ「のんちゃん」と呼んで下さい!

私は山梨県南アルプス市で不登校児の居場所として体験型フリースクール「みんなのおうち」を運営しています。

私自身、中学生の時に不登校を経験しました。その時に負った劣等感・無能感・自己否定感がトラウマとなって40歳まで苦しみ続けました。一時は引きこもりとなり、自殺未遂を図ったこともあります。父親となってからは我が子も不登校となりました。フリースクールを始めてからは沢山の子ども達と関わってきました。

そんな人生を通して得た大切な気付きや想いを綴るブログです。

果たして人は変わることが出来るのでしょうか?

今日はこのことについて考えてみたいと思います。

私の経験上思うのは、人が変わるのは容易ではないけれど、幾つになっても人は変われます。ではどうすれば変わることが出来るのか?習慣を変えれば良いのか、読書によって人は変わるのか、意識が変われば人格も変わるのか、環境を変えれば良いのか。いずれも違います。人が変わることが出来るのはただ一つ。自ら気付くことです。自ら気付かない限り、人は決して変わることが出来ないでしょう。何冊本を読んでも、生活習慣を変えても、転職や引越しなどで環境を変えたとしても、自ら気付かない限り自分を変えることは出来ないのです。

それでは気付きとは何でしょうか?気付くとはどういうことでしょうか?

それは傷付くことです人は傷付いた時に気付きを得ているのです。例えば、他者から苦言を呈された時。自らの至らなさを指摘された時。胸にグサッとくる一言を言われた時。そんな時に私達は気付きを得ているのです。その気付きを認めるのは怖いし、勇気が要ります。これまでの人生で抱えてきたトラウマに起因するような場合には目を背けたくもなるでしょう。それを認めることは負けることだと変なプライドが邪魔するかもしれません。

しかし、その気付きに対してどのように対処するかが分岐点なのです。怒りや悲しみという感情が先に立ち相手を非難するのか、それとも冷静に自分の非を認めこれから改めようと素直に受け取るのか。そして、後者の場合にのみ、それによって人は変わることが出来るのでしょう。

実際に私がそうでした。これまでを振り返ってみると自分の至らなさや欠点を指摘され、傷付き気付くことばかり。そんな自分が情けなくなりながらも、その気付きと何とか向き合って、それを糧にしてきたおかげで少しずつですが、自分自身を変えることが出来ているように思えます。

私達は日々、傷付いています。駄目な自分を痛感させられます。しかし、その時に気付いているのです。その気付きから目を背けることなく、これからの人生に活かしていくことそれこそが学ぶということなのでしょう

ちなみに、自分に気付きを与えてくれるのは、家族・友人・職場の同僚など身近な人が多いものです。身近な人だけに、素直に受け入れるのが難しい。どうしても感情的になってしまいがちですが、身近にいる人ほど貴方のことを思って言ってくれるもの。身近にいる人の言葉を真摯に受け止め、傷付き気付きながら学び続ける人生でありたいですね。

人生は全てを感謝して受け入れる修行の旅なのだから

本日も最後までお読み頂き有難うございました。

もし、お子さんの不登校などでお悩みでしたら「お問い合わせ」の欄からご連絡下さい。

私でよろしければ真摯に対応させて頂きます。

体験型フリースクール「みんなのおうち」

代表 中西紀説

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です