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あと2年。

2004年12月15日の19:05、

私は初めて人の親になりました。

初めて抱いた小さな命は

本当に小さくて、

暖かくて、

今にも壊れてしまいそうで。

あの時のことは

今でも鮮明に覚えています。

『純潔(よしゆき)』と名付けたその子は、

親バカの分を差し引いても

充分にお釣りがくるほど可愛い子で、

我ながら

「トンビが鷹を生んだもんだ。。」

そう想っていました。

私達夫婦にとって初めての子。

赤ちゃんは日毎に成長の度合いが凄くて

毎日が新鮮でした。

愛とは何かを思い知らされる日々でした。

そんな彼に対して、

私は自分の父親がそうであったように

過剰な期待をしてしまったものです。

当時の私は

彼の人生を通して

自分の人生の穴埋めをしたいと想っていました。

私が出来なかったことを

彼ならやってくれる。

この悔しさを

彼はきっと晴らしてくれる。

勝手にこんな期待をしていました。

そんな彼が

自閉症と診断されたのは3歳の時。

こんなに可愛い愛の結晶が

喋れるかどうか分からない?

自立出来ないかもしれない?

知能の遅れ?

冗談じゃねぇ!

そんなもん信じられるか!

何かの間違いに決まってる!

あんなに声を挙げて

わあわあ泣いたのは初めてでした。

あの時の私は

運命を、

神を、

人生を、

ただひたすらに恨みました。

しかし、

ひとしきり泣いた後に出てきた結論は、

この子は何も悪くない。

彼には一切何の責任もないことに

気が付いたのです。

ならば、

やるべき事は一つ。

父親として彼を守らなければ。

あの日が全てのスタートでした。

幼稚園で初めての保育参観。

我が子の成長ぶりを笑顔で

ビデオやカメラに収めるお母さん達。

そんな中、

あまりに他の子と違う彼の様子が哀れで

妻は涙が止まらなかったそうです。

幼稚園の聖母行列。

照明が落とされ暗くなった会場に

彼は両手で耳を押さえ

ぽろぽろと涙をこぼしながら入ってきました。

人一倍感覚が過敏な彼には

その会場は恐怖でしかなかったのでしょう。

彼は私達が想像も出来ないような

世界を生きているのです。

脳の発達には運動が良いと聴いて、

毎朝2人で散歩をしました。

真冬の時期には、

あまりの寒さに両手両足の感覚を

無くしながら散歩をしたのは

今では良い思い出となっています。

そんな彼の子育てを通して、

私は本当の意味で父親になりました。

本当の愛とは何かを教わりました。

自分自身の価値観を変えてもらいました。

一切の執着を手放すことが出来ました。

彼との出会いは

私の人生を変えるほどの

衝撃的な出来事だったのです。

彼との出会いがなければ

今の私はないでしょう。

彼が健常に生まれてきていたら

私達夫婦はとうに別れていたかもしれません。

その名の通りに

純粋で美しい心を持った彼は、

健やかに育ってくれました。

小学生の頃にはいじめに遭い、

一時期不登校にもなりましたが、

特別支援学校に入った中学生からは

安心して過ごせる自分の居場所を見つけ、

伸び伸びと楽しく過ごせるようになったようです。

そんな彼も

現在高校1年生。

今では彼女も出来て、

高校生活を満喫しているようです。

そんな彼の夢は、

「高校を卒業したら

 一人暮らしをすること。」

彼女と何か

将来の約束でもしているのでしょう。

毎日、

洗濯物を干したり、

食器を洗ったり、

料理に挑戦してみたりと

自立に向けて健気な努力を続けています。

そう考えると、

彼は2年後、家を出るかもしれません。

彼と共に過ごせる時間は

あと2年なのかもしれない。。。

あんなに弱々しく、

何事も消極的で

自信がなさそうだった彼が、

私のもとを巣立っていこうとしている。

実に感慨深いものがあります。

彼がこれからどんな人生を歩んでいくのか

皆目見当もつきませんが、

彼が元気でいてくれることに心から感謝して

彼が人生を楽しく過ごせるよう

精一杯サポートを続けていきたいと想います。

今、改めて想います。

親が自らの執着を手放すと、

子は想像以上に成長する。

2年後の彼の姿が楽しみです!

今日も豊かな心で、豊かな一日を。

中西紀二

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