どうしても叶えたい
夢や、希望、願い事がある場合、
それらを叶えるためには
どうしたら良いのでしょうか?
今朝はそんな
「願望成就法」について
考えてみたいと想います。
それらの願望が叶うために
大事なのは、
その動機です。
それらの願望が
一体どこからきたものであるのか。
始まりの時点で
結果は決まっているとも
言えるでしょう。
かつての私は、
何をやっても長続きせず、
失敗と挫折を繰り返してきました。
当時は
そんな自分を恥じ、
何て低能で根気がないヤツだと
自らを蔑んでいましたが、
今となっては
その理由がよく分かります。
その頃は、
自分が大嫌いで、
自分に自信がなくて、
劣等感の塊のようでした。
ですから
そんな自分を克服しようと、
自分に足りないもの、
自分が出来ないこと、
自分が苦手としていたものばかりに
挑戦していたのです。
要するに
自分に対する欠乏が
全ての動機となっていたのでした。
大嫌いな自分を克服しようと、
自分に無理難題を課し、
それを一生懸命、
それこそ必死でやっていました。
「こんな自分ではダメだ!」と
精一杯頑張っていたのです。
もちろん、
それらは全く楽しいものではなく
苦行に近いものでした。
そのような状態で、
長続きするはずがありません。
これらの経験から
想うのです。
願望成就の可否は
動機の時点で決まっている。
その動機たるものが、
感謝か欠乏か。
感謝を動機とするものは
楽しくワクワクするものだから
成就しやすく、
欠乏を動機とするものは
辛く苦しいものだから
成就しにくい。
あるがままの自分を受け入れ、
自分を認めて、
自分を信じ、
自分に感謝出来たとき。
そこからくる
願望は
きっと成就することでしょう。
人は自分に無いものをねだり、
他人を羨んでは、
自分と闘おうとしてしまいます。
しかし、
その想いが
足枷となっているのかもしれない。
自分自身とは
克服するものではなく、
受け入れるもの。
それに気付いた今、
私は感謝の気持ちを持って
「日本にない学校を創る」
という夢を成就すべく
挑み続けたいと想います。
今日も豊かな心で、豊かな一日を。
中西紀二