山梨県南アルプス市にて、体験型フリースクール「みんなのおうち」を運営しています!

幸せの定義

体験型フリースクール「みんなのおうち」の

プレオープンを始めて5回が過ぎました。

まだたったこれだけの回数ですが、

実際に子供達と触れ合い、

親御さんと語らう中で

痛切に感じたことがあります。

それは、

「幸せの定義とは何か?」ということ。

私達は今、

幸せの定義について

考え直す時に来ているのかもしれません。

私達は幼少の頃から、

競争を強いられてきました。

規則に従うよう教えられてきました。

社会の仕組みから外れることは

とんでもない悪だと植え付けられてきました。

学校に行って、

言われるがままに行動し、

必死で知識を詰め込んで、

他者を出し抜き、

良い成績を修め、

良い大学に行って、

良い会社に就職する。

それこそが幸せであり、

そんな子が優秀である。

そう教えられてきました。

そう信じ込まされてきました。

それこそが

「幸せの定義」となっていました。

社会のレールから外れることなく、

大人の言うことに従い、

良い子でいれば幸せになれる。。。

本当にそうなのでしょうか?

「努力」や「頑張り」は、無理強いされて

苦しみながらやるものなのでしょうか?

ただ言われるがままに従い続けることで

幸せになれるのでしょうか?

文部科学省が2020年10月に公表した調査によると、

2019年度の小中学校における不登校児は

181,272人で、過去最多を更新。

少子化の中で

不登校児は増え続けているそうです。

15~39歳の非労働力人口

(求職活動をしていない人など)のうち、

家事も通学もしていない人をいう若年無業者。

いわゆる「ニート」と呼ばれる人達は、

2019年時点で74万人にも上り、

15~39歳の43人に1人がこれに該当するそうです。

これらのデータは

私達に何を示しているのでしょうか?

学校に行けない子供達が増え続けている。

無事に学校を卒業しても、

無気力になってしまう大人が増え続けている。

今こそ「幸せの定義」を

考え直す時ではないかと想うのです。

先日、山梨県北杜市にある

不登校の子供達の居場所「ひなたぼっこ」を

訪問させて頂きました。

そこで頂いた一冊の本。

そこには、

学校に行けず不登校となり、

「ひなたぼっこ」に通った子供達の

手記が綴られていました。

学校に通うことが出来ず

傷付き苦しんだ彼らは、

安心して過ごせる自分の居場所と出会い、

安らかな時間を過ごしながら

自分なりのペースで成長していきました。

そして、

大人になった今。

彼らは自分の好きなことや

やりたいことを見つけて、

活き活きと将来の夢や人生の希望を

語っていたのです。

それを読んだ時に、

私は想いました。

これこそが幸せなのではないか?

学校に行けず、

規則に従うことが出来ず、

社会の仕組みから外れてしまったとしても、

大人になった時に

自分はこれがやりたい!これが好きだ!

と言えればそれでいいのではないか?

そうやって

主体的かつ能動的に生きられることが

一番幸せなのではないでしょうか。

主体性は

無理強いや強制、言いなりの環境では

育ちません。

自分の個性を活き活きと発揮し、

安心して過ごせる環境の中でこそ

育まれていくものなのでしょう。

皆と同じであることが正しいのではない。

大人の言いなりであるであることが

利口なのではない。

学校に行けないことは駄目なことではない。

人生には

努力も必要ですし、頑張りも必要でしょう。

しかし、

それは無理強いや強制されるものではなく、

あくまでも自らの意思によるもの

だからこそ活きてくるのです。

主体性を身に付けた子は、

いつしか自分の意思で努力し、

頑張るようになるのではないでしょうか。

5回のプレオープンで触れ合った子供達や

語り合った親御さん、

「ひなたぼっこ」OB・OGの子供達から

教えられました。

幸せとは、

主体的に生きることである。

そのためには

子供一人一人の個性を尊重して、

その子が安心して過ごせる環境に

身を置くこと。

比べられることなく、

否定されることなく、

自分の存在を肯定された子は

いつか自らの足で立ち上がり、

自分だけの花を開花させるようになる。

これは決して

子供を甘やかしているわけではありません。

むしろ、

親にしてみれば

この選択をすることの方が

よほど勇気のいることです。

覚悟と愛がなければ

出来ない選択です。

自分が教えられてきた、

自分が長い間信じ込まされてきた

幸せの定義。

それにしがみつくことなく、

その概念を覆すことが

どんなに辛く大変なことか。

それは

子供を信じていないと出来ないことです。

こうして私の「幸せの定義」は

完全に上書き更新されました。

そして、

「みんなのおうち」は

子供達の主体性を育む居場所にしようと

心に誓ったのです。

今日も豊かな心で、豊かな一日を。

中西紀二

2 COMMENTS

角田重夫

 そうですね。
新しい豊かさを見つけ出す時でしょう。
私も以前は日本の税制がおかしいと考えていました。
大戦で負けた国は相続税などを課して社会保障費用を工面する必要がありましたが、日本以外の国は「国民から徴収する」という考え方から「頑張って稼げば財産を残すことができる」という触れ込みで優秀な人材を確保しようとしました。
 結果、アメリカをはじめ世界中で、大きな貧富の差から各国内にどうしようも無い分断を生んでしまいました。日本だけは30年間GDPがまるで増加しない世界でも稀な低生産性の国ですが、分断と言えるほどの貧富の差は起きていません。
 これから我々は社会的分断もやむなしとして、生産性の向上に注力するのか、社会保障の低下もやむなしとして新しい豊かさを目指すのか、はたまた第三の道を模索するのか、大事な岐路にさしかかっていると感じます。

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中西 紀二

角田さん

コメント有難うございます。
仰る通り、私達は今、豊かさや幸福についての概念、定義を改める時に来ているのではないかと想います。
角田さんが仰る税制についてもそうですし、私がブログに綴った学校教育制度についても、
システムが時代の変化に対応しきれていないように感じます。
とは言え、すぐに体制は変わらないでしょうから、私は今感じる想いをフリースクールという形で体現する
ことから始めていこうと想います。
そして近い将来、学校とフリースクールが同列となり、子供達にとって選択肢が増えるようになればもっと
生きやすい社会になるのではないかと考えています。

中西紀二

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