現在、
NPO法人
フリースクール全国ネットワークが主催する
「フリースクールスタッフ養成オンライン研修」
を受講しています。
この研修は、
全国のフリースクール関係者を対象に
実施されるもので、
期日までに教科書代わりの動画を視聴し、
その動画について90分間
参加者同士でディスカッションするという
週に一度の全5回に亘る研修となっています。
まさに
全国からフリースクールの関係者が
参加されていますし、
毎回の課題である教科書代わりの動画も
興味を惹くものばかりで、
毎回楽しく参加させて頂いているのですが、
この研修を通して
「不登校とは何か?」を
改めて考えさせられました。
現在、
文部科学省による不登校の定義は
「年間30日以上欠席した者のうち、
病気や経済的な理由による者を
除いたもの」
だそうです。
日本では
1966年から不登校に関する調査を開始し、
当初は不登校を「問題行動」であるとして、
その要因を
本人の怠け・甘え・逃げ、
親の教育の問題、
心の病などとみなしていたそうです。
学校絶対主義の学歴社会の中、
不登校児に対する国の政策は
学校復帰が前提。
長い間、
不登校はその家庭ごとの個別的問題、
そのお子さんや親御さんの
個人的な問題として
扱われてきたのです。
確かに、
高度経済成長期のように
企業で働く
人材の大量輩出が必要な時代には、
大勢の子供達に対して
一斉に同じことを言われた通りにやらせる
トップダウン型の
教育が効率的だったことでしょう。
ところが
時代は変わりました。
少子高齢化が進む中で、
終身雇用制は完全に崩壊しています。
ただ言われた通りに
皆と同じことをやっていれば
生涯安泰という時代は過ぎたのです。
これからの時代、
自ら考えて行動するという
主体性が求められるのではないでしょうか。
時代の変化に合わせて
社会も変遷するものです。
かつては
黒人は白人の奴隷であることが
当たり前の時代がありました。
結婚はお見合いでするもので、
恋愛結婚など
はしたないという時代もありました。
そんな中、
世の中のシステムは
より良い方向へと変化してきたはずです。
それなのに
日本の学校教育制度は旧態依然としたまま
何も変わっていません。
18歳以下の日別自殺者数を調べてみると
圧倒的に9月1日が多いそうです。
学校が苦しくても逃げられない
現実に耐えることが出来ず、
自ら命を絶つという選択をする
子供達がこんなに多くいるのに。
文部科学省が2020年10月に公表した調査によると、
2019年度の小中学校における不登校児は
181,272人で、過去最多を更新。
少子化の中でも
不登校児は増え続けているそうです。
このような現実を鑑みるならば、
不登校を問題視する前に
学校に行って当たり前という
視点の方が問題なのかもしれません。
時代の変化に合わせた
フラットな視点で見るならば、
今の時代に合った
学校以外の学びの場が
必要とされているのではないでしょうか。
つまり、
不登校とは個別的・個人的な問題ではなく、
社会問題ではないかと想うのです。
社会全体の問題として、
教育制度の在り方が
問われているような気がします。
学校に楽しく行けている子は
そのままでいいでしょう。
問題は、
学校に行けない子達には
選択肢がないということです。
とは言え、
体制がなかなか変えられないことは
充分承知しています。
ですから
私達に出来ることから
始めていくつもりです。
子供達が安心して過ごせる
学校以外の学びの場を
創っていきたいと想います。
不登校が問題なのではない。
学校以外に選択肢のない
世の中が問題なのだ。
不登校で苦しんでいるのは
誰よりも子供自身。
行けない理由を
うまく言語化出来ないからこそ
苦しいのでしょう。
一発で不登校を直す特効薬的な
対処法などありません。
不登校は直すものではなく、
寄り添い、受け止めるものだから。
そうやって、
まずは私達大人が
不登校問題を社会問題として捉え、
学校に行くだけが全てなのではなく、
学び方や育ち方は多様であると理解する
意識の変化が
必要なのではないかと想っています。
今日も豊かな心で、豊かな一日を。
中西紀二