私の趣味と言いますか、
ライフワークとなっているのは
早起きとランニングと読書です。
毎朝4時に起きて、
朝焼けを見ながら10kmのランニングと
隙間時間を使っての読書が
私の活力源となっているのです。
それでは
何故読書をするのでしょうか?
今朝はそのことについて
考えてみたいと想います。
元々、
私は本を読む方ではありませんでした。
学生時代などは
全くと言っていいほど
読書はしていません。
むしろ当時は
読書に対する嫌悪感さえありました。
それはきっと
小学校低学年の頃に植え付けられた
「読書は知識を得るためのもの」という
固定概念が原因だったのでしょう。
本を開くと、
そこから
知識を得なければならないという
強迫めいた意識が働いて
読むこと自体が苦になっていたのです。
ところが、
社会人になって
本を読むようになってから
気付いたのです。
本は知識を得るために読むのではなく、
自己を鍛錬するために読むのだと。
心を鍛え、
精神を修養し、
自己を練り上げるために
読書が必要なのですね。
身体は運動で鍛えられるように、
心は読書で鍛えられるのです。
そう気付いてからというもの、
読書が全く苦ではなくなりました。
先日、
「天平の甍(いらか)」という
本を読みました。
これは奈良時代に、
唐の名僧であった鑑真が
日本に仏教を正しく伝えるために
渡日するまでの様子が描かれた
歴史小説です。
当時、
唐(現在の中国)から日本へ渡るのは
「百に一度も辿りつかぬ」と言われるほど
困難なことでした。
しかし、
「法のためならば
命を惜しむべきではあるまい」と
渡日を決意した鑑真は、
度重なる遭難や漂流により
5度も失敗し、
その過程で失明しながらも
決意は一切揺るぐことなく、
実に10年という歳月を経た後に
ようやく日本に到着。
遂にその志を成したのです。
このような書物を読むと、
魂が揺さぶられるようです。
ならば
私はどう生きるのか?
何にこの命を捧げるべきなのか?
熱い想いと自分への問いが
こみ上げてくるのです。
鑑真和上の魂に触れ、
私は改めて
自分の生き方について
考えさせられたのでした。
ほんの一部ですが、
私の魂が震えた書籍をご紹介します。
心を鍛錬したい方は
是非一度お読みになって下さい!
知識を得るための読書は
退屈なものですが、
自己を鍛錬するための読書は
止められませんね!
今日も豊かな心で、豊かな一日を。
中西紀二